最初の特権
ヒルナンデス=エマも、もちろん起立した。
普通、「起立」と「例」は
委員長がするものだが、
早いもの勝ちだ。
例えば、
メスの犬とオスの猫を小さい同じ部屋に置いておく。
喧嘩するか、よい仲を作るか実験し
喧嘩して、仲良くなれなかったとしよう。
この研究結果を発表しよとしても
仮に誰かに発表されていたら
もはやそれは先駆者の
コピーであるとみなされて
誰も評価してくれないだろう。
最初に、起立と礼をしたら
次の日も同じ人が起立と礼をすると思うし
変わったら「変」だと思うだろう。
変わると、「変」という字は同じであるし。
そんな事で授業を開始した。
国語の時間は楽しくない
春休みが明けてあけてから3日。
今日から本格的に授業が開始である。
一時間目は国語である。
国語と いわれているように
「国」 の 「言語 」を勉強する教科である。
「さっそくですが、知識の確認の為に古典の単語テストをします。教科書
を片付けてください」
今度の国語の先生、若いな。
しかしながら若い先生にありがちな純粋さが
足りない。この先生は「危険」であると判断した。
理由は単純、春休み明けて一発目からテストを実施する時点で
性格がよろしくないだろう。明らかに評判が下がる行為を
しながら、笑顔で
「さっそくですが、知識の確認の為に古典の単語テストをします。教科書
を片付けてください」
とかいう先生など怖いだろう。
人が「悲しみ事」を平気で言う時
「笑顔」だろうか?
サイコパスであると認定出来るだろう。
ナイフを突き出して、
笑顔でいう。
「ここで死んでくださいと」
といってるのがサイコパスです。
まさしく同じだろう。
サイコパスすぎる担任
と思いながら、、嫌いすぎる古典の単語
一切覚えていない。やばい、やばい、これはまずい
0点取ったら、再テスト実施するとか普通に
ありそうで、怖い。
とりあえず、適当に書くか、
「をこなり」
→とりあえず、怒っているしか浮かばない。
でも、そのままだと絶対違う、、、
しかしながら思い浮かばない
考えている時間もないし、
もう怒っているでいいや
「怒っている」と
書いた。
「なんでふ」
→なんで、、、な、どうして
という意味だった気がしないでもないが
違う単語だったような気がする
まぁ
「どうして」
と書いておこう。
「きみ」
→「あなた」としか浮かばない。
「我」
→私
「ゆきつる」
ここまで書いて時間切れになってしまった。
例ならず
いつしか
なじか、、、、、、、
あと、10問は残っていた。
相互答え合わせの恐怖
「隣の人と答え合わせをしてください」
やばい。これ、恥ずかしい奴だ。
とは俺は思わない。
多くの人は一度は経験した事があるかもしれない。
相互答え合わせとは
周囲に自身の学寮を公表するテストである。
普通のテストならその教科の担当の先生しか自分の成績が分からない。
この相互丸付けは自分の学力を丸裸にする。
勉強して、自身にあふれて満点の答案なら
優越感に浸るだけでなく、
「隣の人は賢い」というステータスを手に入れる事が出来る。
普通のテストなら満点を取っても自慢がしにくいのだが、
相互答え合わせなら、相手に「丸付け」という単純作業を提供させながら
強制的に点数を知らせるのは楽しいと思う人もいる。
だが共通している性格は
相手がどう思うのかを常に気にしている。
自分の評価を気にしすぎているといった方が表現が正しい。
素直である事も多く、扱いやすい人物でる。
そして、正義に満ちあふれていて性格も曲がっていない。
根がいい奴である。
一方、点数が悪い人物はどうだろうか?
多くの場合、自分はいい成績を取れないと
分かっていて「テスト?なにそれおいしいの?」
と考えて、
小テストの点数をまったく気にしない性格だ。
同じような友達と道連れを作って、
点数なんて知らないと
思考を停止させる。
中には
ほんとは点数を取れるのに、悪い点数を取る人もいるが
ほんのわずかである。
そこまで周りにも評価を気にしない。
お化け屋敷、ジェットコースターに乗っても
怖いと思わない、メンタルが強い人物でもある。
「をこなり」 ばかげている
「なんでふ」 どうして?
「きみ」 王
「我」 私を
「ゆきつる」 道連れにする
隣の人はどうやら、結構点数がたかそうだな。
以外と賢いのか。
「はい」
俺は相手の答案を渡す。
「ありがとうございます」
「はい。これでいいですか?」
「ええ。」
なんだか、とても渡すのに戸惑っていますようだ